Tumblr by km_zap(実験中)

「本当は仙台にいたかった」。12年5月、さらなる成長のため、カナダ・トロントに練習拠点を移した。関係者によって、レールは敷かれていた。金妍児を育てたオーサー・コーチの元で学ぶ-。非凡だからこそ、名伯楽に託したい。その親心を理解しながらも、決して自分が望んだ道ではなかった。もう流れは止められなかった。

 出発の2カ月前、世界選手権が開催されたフランスから帰国すると、仙台では誰にも会わなかった。「自分は裏切り者なんじゃないか」。お世話になった人への、震災から立ち直ろうとする故郷へのうしろめたさ-。

 自らも被災者だった。震災の時、スケート靴が脱げずにリンクにひざをついて逃げた。4日間は家族4人が避難所暮らし。畳1畳に毛布1枚の生活も味わい、「生活で精いっぱいなのに、なんでスケート…。やめようかな」とまで思った。60以上ものショーが練習代わり。その最中、500通のファンレターに返事を書いた。「僕が、本当は支えられていたんだな」と心に染みた。だからこそ、離れることは裏切りのように感じられた。

 4歳から通ったアイスリンク仙台。出発直前、あいさつに行った。「いってきます」の短い言葉。それが限界だった。終えるとそのまま、靴の刃を研磨してくれる隣の店へ。その奥の小さな部屋で泣き崩れた。長く、悲しい時間。「僕は行きたくないんだ…」。

 それでも旅立ちの時はくる。母と2人、カナダへ。アパートでの2人暮らしで、地下鉄を乗り継ぎ練習場へ通う日々。ぜんそく対策のマスクをつけると「変な人に見られる」。レストランでは、隣席の団体客の高額レシートを支払わされそうになった。差別的視線に、友人もいない異国は冷たい。「英語もできない。いちいちストレス。こんなんでよかったのか」。ただ、進むしか道はなかった。

あのね。ビクターは去年の夏にリリースしたサザンのシングルが散々だったの。でかいタイアップ取りまくって、キャンペーン打ちまくってすごくすごく頑張ったのに、散々だったの。どれくらい散々だったかというと、タワレコのアウトレットセールで、AKB系のでもおよそ40%OFF程度なのに、サザンの初回限定盤は怒涛の60%OFFにしちゃうくらい散々なの。在庫が唸りを上げてるの。BOX仕様でナリもでかいからバックヤードだって大変なの。

主にそこらの売上予想を完全に読み間違えちゃったせいで目論んでいた収支の計算が大幅に狂ったんだけど、それでも大きくリカバリできるだけの策を打てないまま期末近くまで来ちゃったからビクター決算が大変なの。どうにかして3月末にはできるだけ辻褄合わさなくちゃいけないの。だから仕方ないの。言うこと聞きそうな若手バンドに対してこういうことするくらいは企業にとっては許容範囲なの。何故なら、利潤を追及するのが私企業だから。


サザンの件もクリープハイプの件も、少なくともバンドも所属事務所も、小売店も、初回盤を待ちわびて定価で買ったファンも、ベスト盤のリリースを楽しみにしていたファンも、誰も楽しい気持ちになれないってのが、やりきれない。
私の友人は「斗」の字を名付けに使おうとしたら年配の親戚の方によくない字だと止められたそうです。
その話を聞くまでは私も男子の名として格好よい字だと思っていました。
挌闘家・魔裟斗さんや北斗の拳など強くりりしい印象があります。北斗七星のような輝きをと願うこともあると思います。

その時気になり角川書店の漢和辞典で調べたのですが。
「斗」には「少しの量」という意味があり、そこから転じて「つまらない人物」という意味がありました。
量りきれてしまう程度の人物ということになるのだと思います。
年配の方や国語に強い方だと気になるかもしれません。
この字の名付けに偏見はありません。
でも意味を知って、私はわざわざ自分の子に付けることはしないと思います。

いや、マジでこれはくっそ美味い。
このキムチは他のキムチとは比べ物にならないくらいのキムチレベルだ。
これぞキムチの中のキムチ。
キムチといったらしたらの漬物。

これ以外にはありえない。
そんじょそこらのキムチとは格が違うのだ。
そして日本で一番美味しいという事は世界一美味いキムチと言っても過言ではないだろう。
ただ辛いだけのキムチなど是非に及ばず。

辛みの中にふと現れる旨味。
塩辛さとほどよいまろやかさ。
まさに絶品。

しかも最初から切り分けられていないこの不器用さ。
いちいち袋から取り出して包丁で切らないと食べれないこの不親切さ。
だが、それがいい。

『うちの工場ではキムチは一本漬けしか認めないんだよ、あぁん?』

という職人魂が今にも聞こえてきそうなこのぶっきらぼうさもたまらない。
よし、今日は豚キムチを作ろう。

お世辞や謙遜でもなんでもなくて、正直オイラが漫才をバリバリやってた時代より、今の若手の実力あるヤツラの漫才のほうが、絶対面白いと思うよ。そういうヤツラに上から目線で物申すのは、カンベンだぜってね。それに同じ漫才でも、オイラがやってた頃のものと今のものじゃ、ゼンゼン「質」が違うんだよな。

 まず「尺」が違うからね。オイラの時代の漫才は、テレビでは7分程度、寄席やストリップ小屋の舞台じゃ15分はやってたんだよ。だけど今のお笑い番組を見てると、ネタは大体4〜5分にまとまってるよな。だから、やり方もまったく違ってくるんだよ。

 オイラの頃は、テレビにしても舞台にしても、漫才を始めながら客の顔を見て場の空気を読んで、前振りやスジ振りをしっかりやって、余計な脱線を挟んで温めていって、ってことをステージの上でやってたわけ。だから客のほうも聞いてるうちにジワジワ面白くなってくるし、芸人のほうもドンドン乗ってくるっていう「流れ」が大事だったんだよ。

 だけど、今の芸人にはそんな時間が与えられてないわけでさ。余計なものを全部削ぎ落として、次から次にドンドン「オチ」を繰り出していかないとダメなんだよ。

 昔の漫才と今の漫才の違いってのは、まさしく「レコード」と「iPod」の違いだよな。オイラの頃はレコード針をレコードの上に落としたりするプロセスから、「プチプチッ」ていうノイズまで「味」だって言って楽しんでたわけだけど、今の漫才はアルバムの中でも余計な曲は外して、好きなものだけ抽出して、ピンポイントで取り出してるっていうことだよ。

 まァ、芸のレベルは上がったけど、アナログ的な味はなくなっちゃったよね。そっちのほうが面白くてウケるからそういう流れになってるわけで、今さらジジイがとやかく言うことじゃないけどさ。

明石家さんまさんが「元彼女に電話しそうになったら先にヌキなさい。そうすると電話しなくなるから」て言ってて、具体的で完璧なアドバイスだ。

東京の番組でしか知らない者からすると、いつも「苛立っている」ようにしか見えない人だった。

人にはそれぞれ「与えられた場所」があり、彼にとってはそれが「関西」だったのだろう。突き詰めていえば、「東京以外」だったのかもしれない。

それが誰にとって不幸だったかといえば、おそらく「やしきたかじん」にとってではなく、東京を中心に暮らしている人々にとってだったろう。

だって、番組を見た多くの人が「おもしろかった」って言っているもの。

東京の番組でしか知らない者からすると、いつも「苛立っている」ようにしか見えない人だった。

人にはそれぞれ「与えられた場所」があり、彼にとってはそれが「関西」だったのだろう。突き詰めていえば、「東京以外」だったのかもしれない。

それが誰にとって不幸だったかといえば、おそらく「やしきたかじん」にとってではなく、東京を中心に暮らしている人々にとってだったろう。

だって、番組を見た多くの人が「おもしろかった」って言っているもの。

そもそもは「靖国神社に参拝することに賛成な方」というのが間違ってます。

国民の大半は「靖国神社に参拝することに反対することに反対する方」なのです。
これはちょっとやそっとの世論誘導では揺るぎません。
当然、国民の大半は天皇が参拝しないことも容認していることでしょう。

jinon:

Twitter / saso_______unko: お母さんからのメールが切ない http://t.co/gVj …